阪神淡路大震災


あの朝、あの時間。
かすかな揺れに目が覚めて胸騒ぎがして、
その後ずっとテレビに釘付けに。



『ドキュメンタリードラマ』という番宣にひかれて、
昨夜、編み物の手を止めて見た。
新聞作りって、ある意味職人技。


当時の神戸新聞の社説の一節、
『理解できる、理解できるがやりきれない』
きっと、本当にその通りだと思う。


あれから15年。
あの時『明日は我が身だ!』と、
恐れた静岡県民は多かったのではないか。


東灘区に友人が住んでいたので、
毎日安否の確認のためNHKをチェック。
友人と連絡が取れたのは3ヶ月後だった。



災害の時大切な事の一つは、
人とのつながり(近所付き合い)かな。
一人暮らしの娘たちのことが心配になった。